面を打ち始める

能面を始めたきっかけ

般若山法性寺
般若山法性寺

私は般若という地名で生まれました。近くに般若山法性寺(秩父札所三十二番)が有り、その門前と言うことでこの地名になったと思われます。 私が小学生の頃、プラスチックで出来た般若のキーホルダーを目にしました。地名と同じ名前で、角を持つ面のミニチュアです。何となく親近感を持ち、子供心にこんな面が作れたらいいなぁと思いました。 私の生まれ育った秩父はお祭りが多く小さなお祭りを含めると年に400ぐらいあるようです。所にも例外ではなく神楽殿があります。小・中学生の時に神楽面を付けて神楽を舞ったことがあります。小学六年生の時に家にあった材木を彫刻刀で刻み神楽面らしき面を作ったことがあります。

中学校の時には工作の時間に大黒様を製作して、満足できずに、家でコツコツと欅を刻みある程度納得できる大黒様を製作しました。彫刻刀やノミで木を彫ることがわりと好きでした。高校3年の頃、頻繁に本屋さんで漫画本を立ち読みをしていました。

別冊太陽 能
別冊太陽 能

ある時、平凡社が発行した『別冊太陽』で能の特集をした本が目に飛び込んできました。小面が表紙いっぱいにこれでどうだと言わんばかりに威張っています。すぐにその本を購入して、内容を見ますと、能面の特集が有ります。初めて見る能面が沢山載っています。小学生の頃の想いが沸々と蘇りました。 能面の写真をじっくり観察して、どの能面を作ろうかと思案して、顰(しかみ)を作ることに決めました。早速、材木屋で『朴の木』を分けてもらい、製作に入りました。高校から帰ってくると勉強もしないで夢中になって、能面の写真をよく見て、写真と同じになるように頑張りました。しかし悲惨な物に成ってしまいました。すぐに挫折をして次の物を作る気力が湧きませんでした。

高校を卒業して浪人生活に入りました。 その年の6月のある日、新聞を読んでいるとすごい記事が目に留まりました。能面師長沢氏春氏が無形文化財技術保持者に選定されると言う記事です。昭和五十四年のことです。今の時代にまだ能面を製作している人がいるとカルチャーショックを受けました。すぐに長沢氏春氏宅を訪ねました。もちろん突然にです。しかし先生は驚きもせずに快く会って話をしてくれました。大変な仕事だから面を打つのはやめて、大学に行った方がいいと言いました。しかしその時に見せていただいた能面が脳裡から離れません。先生が出された『面打ち入門』という本を購入して、面打ちを始めました。まずは小面を打ちました。それを持って先生宅を訪ねます。また快く会っていただきました。しかし先生は一言、この彫り方をする人は面打ちに向いていませんから、やめた方がいいと言いました。しかし面打ちをあきらめきれず、小面を打っては先生宅を訪ね、手直しをしていただきました。何度も何度も先生宅を訪ねて手直しをしていただきました。 そして何時しか古面を貸していただけるようになり、たくさんの種類の能面を打てるようになりました。能面を完成させて先生宅を訪ねるときは、電車や車の中で今度はどんな評価をいただけるか、毎回不安でたまりませんでした。良い評価をいただくときは、これはどの様にしたのかと聞いていただけるときです。もう少し面を見て丁寧な仕事を心がけなさいと言われるときは悪い評価の時です。いつも先生に挑戦しているようでした。

ある時、先生から色紙をいただきました。先生曰く、面にはそのときの気持ちがでるから気を付けなさい。これを見て励みなさいと言っていただきました。

胸に刺さる言葉でした

面は心なり

長沢氏春師よりいただいた色紙
長沢氏春師よりいただいた色紙