模写の時代

能の歩-3

光悦謡本 謡の普及流行を反映し、慶長以後、江戸期には、おびただしい種類の謡本が出版された。その中で、装幀の美麗さが群を抜き、美術品として珍重されているのが、光悦謡本と通称されている観世流謡本である。これは秀吉の朝鮮出兵で招来された活字印刷の技術による出版物で、光悦流書体の木活字で印刷されている。書物の出版が開始されたばかりの段階で全百冊の光悦謡本が何種類も刊行されていることも、謡の人気を示していよう。

江戸後期の能 寺社建立などへの寄付を名目に、入場料を取って公開する能が勧進能である。江戸期のそれは能役者のための催しに変質し、かつ江戸での勧進能興行は観世大夫の特権化していたが、十二代将軍家斉が宝生流を嗜み、宝生座が繁栄した余勢で、弘化五(1848)年に宝生大夫友于が筋違橋門外で晴天十五日間の勧進能興行を許された。町々に切符を割り当てる制度のおかげではあるが、多い日には五千人以上の入場者を数えた。その模様を克明に描いたのが『弘化勧進能絵巻』で、原本著者は斉藤月岑、掲出したのは大久保葩雪の模写本である。この弘化勧進能が江戸期の能が咲かれた最後の花で、幕末の風雲は能を逼塞させずにはおかなかったのである。

弘化勧進能 寺社建立などへの寄付を名目に、入場料を取って公開する能が勧進能である。江戸期のそれは能役者のための催しに変質し、かつ江戸での勧進能興行は観世大夫の特権化していたが、十二代将軍家斉が宝生流を嗜み、宝生座が繁栄した余勢で、弘化五(1848)年に宝生大夫友于が筋違橋門外で晴天十五日間の勧進能興行を許された。町々に切符を割り当てる制度のおかげではあるが、多い日には五千人以上の入場者を数えた。その模様を克明に描いたのが『弘化勧進能絵巻』で、原本著者は斉藤月岑、掲出したのは大久保葩雪の模写本である。この弘化勧進能が江戸期の能が咲かれた最後の花で、幕末の風雲は能を逼塞させずにはおかなかったのである。

近代の能 明治維新の能にとって、未曾有の危機だった。俸禄と活動の機会を失った能役者は転業を余儀なくされ、脇・囃子・狂言方には絶えた流儀もある。しかし、五百年に及ぶ伝統の恩恵は大きく、外国の芸術保護に影響された政府の補助、皇室や旧大名の後援などで、世が治まるとともに徐々に能は復活した。座の解体に伴う新たな家元制度の強化などで種々の摩擦もあったが、明治末期頃には能は近代社会に再生することに成功したのである。昭和の戦災の大きな打撃だったが、いくばくもなく能は繁栄を取り戻した。新作能、新演出、他の演劇との興隆など、新たな動きも活発であり、海外公演もすでに年中行事化している。古典芸術への関心や憧憬が深まってか観客層も拡大が著しく、近年の能会の増加は目を見張らせるものがある。だが、こうした外見上の華やかさが真の能の発展と称するに値するか否か、にわかに断定できない。

完成の時代

能楽六〇〇年の歩み 平凡社 別冊太陽 日本のこころ 能 (昭和53年11月25日発行)から抜粋