能面について

痩男
痩男

能面を制作することを面(おもて)を打つと言います。

 これは面の性格を忠実に表現するために無心になって第一段階の彫りから最後の彩色まで一人の手で完成させることを言っていると思います。能面を製作する人を面打師あるいは能面師と言います。

 世阿弥が室町時代に能楽の本随を完成させました。そして沢山の能面師が能楽に不可欠な能面に芸術性を盛り込んで桃山時代くらいまでに完成させました。それ以後、能面の模写の時代に入ります。模写をすると言っても、是閑や河内、近江の様により完成度を高めて能面を仕上げています。特に是閑と河内は凄いする物があります。私も古い能面を手にして、あらゆる角度から観察して、名工たちが打った能面に近づけようと頑張っています。

良くある質問に、面を打つと言うことは念を込めて製作するのですか?が有ります。

 私は能面を打つ前にその能面の性格や能楽でどうに使われるかを本などで調べます。しかしその後は見本面をひたすら観察して、見本面に近づけようと努力しています。ですからひたすら無心になって彫ります。気持ちや念などはなるべく入れないようにしています。気持ちや念を入れようとするとその能面が凄くいやらしい表情になってしまうような気がします。完成させられた表情の能面を忠実に再現すれば、気持ちや念を入れなくても、十分に能面として成り立つと思います。

 しかし模写すると言うことはそう簡単なことではありません。一つの物を作り上げると言うことは主観的に行わなくては成りません。しかし主観的だけで物を完成させても、自己満足でしかありません。良い物を作ると言うことは、物作りの行程で自分に厳しく、何度も客観的に見ることが出来るかだと思います。主観・客観・主観・客観の繰り返しを何度も行い、妥協をしないように製作をする。

 これは大変なことです。私の経験で、この位良いかとOKを出して、完成させたときに何時も思うことがあります。あの時、気付いていたのに、この位は大丈夫だろうと妥協してしまった事が、やはり失敗になっている。出来ることは最後まで気を抜かずしなくてはいけない。今度は自分に厳しくするぞと思います。

(故)能面師長澤氏春氏のおかげで名工の作を手にして面打ちをする事が出来ました。見本面(古面を見て私が製作した面)も手元に五十種類ぐらい手に入れることが出来ました。そして能面の素晴らしさや難しさを教えていただきました。これからも面打ちに精進して良い能面を作っていきたいと思います。